通町は「朝市」を開く特権が与えられた唯一の通り江戸時代、通町は、野菜や薪などの市を開く特権を与えられた、朝市の立つ町でした。今でも当時の市の名残や、佐竹氏の政策が感じられる場所が多く残っております。老舗が多い「通町」をぜひ歩いてみてください。
今から400年弱ほど前、1629年(寛永6年)。佐竹氏の都市計画、まちづくりの一つは、大町と通町の建物を2階建てにすることでした。秋田藩から命じられた大町と通町には、2階建ての屋敷が綺麗にならんだ。その毅然とした街並みは、「足栗毛」にも描かれています。秋田城への客人や旅人が多く通る通町は、いわば「秋田藩」の顔。恥ずかしくないように景観を整えたのです。城と町の両方からの眺望、街路の見通り、町の美しさに、佐竹氏の強い意欲と関心があったことが伺える政策でした。そして、通町の町づくりには、今でもその名残があります。通町は当時3つの自治体に分かれていました。秋田城に近い方から、上通町・中通町・大工町と呼ばれ、この3つを繋ぐ一本道が通町なのです。通町は、1864年(文久4年)。市場の特権である特定商品の家督(独占販売権)を認められました。今から150年程前のこと。通町は以前にもまして連日青物市場で賑わう通りとなりました。このように、久保田城下の商人町として栄えた歴史と文化のある商店街として、賑わいがあり、地域住民に真に親しまれるコミュニティ性の高い「おらが街の商店街」を目指しています。
現在は、商店街の約600mの街区には生鮮食品、菓子、生花、陶磁器、薬局、家電、自転車等約70の店舗が営業しています。20年ほど前に商店街振興組合を組織して近代化事業を実施。セットバックを完成して広い歩道を有する快適な買い物空間を構成し、大型のイベントも可能となっております。
通町の歴史 History of Torimachi
古き良き時代の秋田の町の名残を守っています
通町は「朝市」を開く特権が与えられた唯一の通り
江戸時代、通町は、野菜や薪などの市を開く特権を与えられた、朝市の立つ町でした。今でも当時の市の名残や、佐竹氏の政策が感じられる場所が多く残っております。老舗が多い「通町」をぜひ歩いてみてください。
通町の歴史
今から400年弱ほど前、1629年(寛永6年)。佐竹氏の都市計画、まちづくりの一つは、大町と通町の建物を2階建てにすることでした。秋田藩から命じられた大町と通町には、2階建ての屋敷が綺麗にならんだ。その毅然とした街並みは、「足栗毛」にも描かれています。秋田城への客人や旅人が多く通る通町は、いわば「秋田藩」の顔。恥ずかしくないように景観を整えたのです。城と町の両方からの眺望、街路の見通り、町の美しさに、佐竹氏の強い意欲と関心があったことが伺える政策でした。そして、通町の町づくりには、今でもその名残があります。
通町は当時3つの自治体に分かれていました。秋田城に近い方から、上通町・中通町・大工町と呼ばれ、この3つを繋ぐ一本道が通町なのです。通町は、1864年(文久4年)。市場の特権である特定商品の家督(独占販売権)を認められました。今から150年程前のこと。通町は以前にもまして連日青物市場で賑わう通りとなりました。
このように、久保田城下の商人町として栄えた歴史と文化のある商店街として、賑わいがあり、地域住民に真に親しまれるコミュニティ性の高い「おらが街の商店街」を目指しています。
現在の通町
現在は、商店街の約600mの街区には生鮮食品、菓子、生花、陶磁器、薬局、家電、自転車等約70の店舗が営業しています。20年ほど前に商店街振興組合を組織して近代化事業を実施。セットバックを完成して広い歩道を有する快適な買い物空間を構成し、大型のイベントも可能となっております。